糸季の足元

機楽〜はたらく #4
編み機とハタラク職人のモノ語り 連載企画 第四回目、 奈良県・広陵町にある靴下工場「ヤマヤ株式会社」 生産現場から、先縫い工程職人にインタビュー。 さて、いきなりですがみなさまが履いている靴下、つま先にご注目ください。 写真のように糸季の靴下ではつま先のポイントになるよう、赤い糸で縫われている商品もありますが、商品の大半はあまり目立たないように縫製されているかと思います。何故このつま先を縫う工程が生じるのかを今回ご紹介していきます。筒状に編まれた靴下生地のつま先側を専用のミシンで縫製して口を閉じています。このつま先部分を縫い合わせる作業工程を「ロッソ」や「先縫い」と私たちは言っています。前回の記事で紹介したダブルシリンダーの機械で筒状に編み立てられた靴下は、つま先部に次の履き口がつながっていて、長ーーーい状態で連続しています。 ▼連結している様子がこちら Your browser does not support our video. この連なった状態の靴下を切り離す工程のことを“抜き”といいます。 ▼ハサミで両サイドに切り込みを入れ、糸を抜いていきます。 すると連結部分が動画のようにスルッと切り離されます。 Your browser does not support our video. 連結部分は「捨て糸」と呼んでいます。 編み機によってはつま先部分も縫製する機能を備えた「オートリンキング」もあります。リンキング式で編みあがったつま先部分の縫い目は足の当たりが良いという特徴があります。主に、ミシンだと縫い目が目立ちやすくなるハイゲージの靴下に適していますが、ソックスの形状や使用する糸によっては採用できない場合もあります。 糸季ではこれまで靴下端材、ロッソ輪っかを幾度と紹介いたしましたが、この「先縫い」工程により、輪っかができます。 ▼天板上部にご注目ください Your browser does not support...
機楽〜はたらく #4
編み機とハタラク職人のモノ語り 連載企画 第四回目、 奈良県・広陵町にある靴下工場「ヤマヤ株式会社」 生産現場から、先縫い工程職人にインタビュー。 さて、いきなりですがみなさまが履いている靴下、つま先にご注目ください。 写真のように糸季の靴下ではつま先のポイントになるよう、赤い糸で縫われている商品もありますが、商品の大半はあまり目立たないように縫製されているかと思います。何故このつま先を縫う工程が生じるのかを今回ご紹介していきます。筒状に編まれた靴下生地のつま先側を専用のミシンで縫製して口を閉じています。このつま先部分を縫い合わせる作業工程を「ロッソ」や「先縫い」と私たちは言っています。前回の記事で紹介したダブルシリンダーの機械で筒状に編み立てられた靴下は、つま先部に次の履き口がつながっていて、長ーーーい状態で連続しています。 ▼連結している様子がこちら Your browser does not support our video. この連なった状態の靴下を切り離す工程のことを“抜き”といいます。 ▼ハサミで両サイドに切り込みを入れ、糸を抜いていきます。 すると連結部分が動画のようにスルッと切り離されます。 Your browser does not support our video. 連結部分は「捨て糸」と呼んでいます。 編み機によってはつま先部分も縫製する機能を備えた「オートリンキング」もあります。リンキング式で編みあがったつま先部分の縫い目は足の当たりが良いという特徴があります。主に、ミシンだと縫い目が目立ちやすくなるハイゲージの靴下に適していますが、ソックスの形状や使用する糸によっては採用できない場合もあります。 糸季ではこれまで靴下端材、ロッソ輪っかを幾度と紹介いたしましたが、この「先縫い」工程により、輪っかができます。 ▼天板上部にご注目ください Your browser does not support...

機楽〜はたらく #3
機楽〜はたらく 編み機とハタラク職人のモノ語り 連載企画 第三回目、 奈良県・広陵町にある靴下工場「ヤマヤ株式会社」 生産現場から、 ベテラン靴下職人にインタビュー。 靴下はどのように編み立てられているのか?ご周知の方もいらっしゃるとは思いますが、実はとっても奥深い靴下の世界。靴下を編み始める前には編み機に送り込むデータの作成、糸のセッティングや調整、様々な工程があります。ヤマヤで製造する靴下の大半の編み機は靴下専用丸編機。シリンダー(円筒)を回転させながら編み立てていきます。子ども用と大人用では脚回りサイズが違うので編み機によって針が整列しているシリンダー径の大きさが違ってきます。また、靴下の厚み・糸の太さにより針数が変わります。例えば薄手のものは180−220本。厚手のものは44-96本の針がシリンダー状に整列しています。ちなみに、5本指の靴下は横編み機。同じ靴下でも編み方や機械も様々です。前置きが長くなりましたが、ダブルシリンダー(※1)の編み機をメインで担当する駒井、そしてシングルシリンダー(※2)、最新鋭機を担当する東山。両人とも一級ニット製品製造技能士(※3)のベテラン職人たちにたずねていきます。 ー自身の好きな製造工程があれば教えてください。駒井 ダブルシリンダーの編み機で柄出しをする工程です。特に表目と裏目の組み合わせで立体的に凹凸感を表現するリンクス柄が特に面白いです。 昭和感たっぷりのコンピューター。ヤマヤではまだまだ現役。フロッピーディスクでデータを読み込みます。 ▶▷ リンクス柄の商品はこちら 東山 シングルシリンダーは柄物が多いのもあり、調整にも一苦労です。生産リスクが高い商品もあるので、トラブルなく生産がスムーズに進む時が一番嬉しいです。 ーお気に入りの編機、その理由を教えて下さい 駒井 ダブルシリンダーの機械は柄を変更するにも一苦労。なかなかクセがある分、そのことが非常に面白いと思っています。 若手育成中の微笑ましいシーンです。 はじめての糸かけ作業にドキドキのひとコマ。 東山 日本製の機械が一番好きです。日本製というだけでどこか信頼できる編み機です。靴下向け丸編み機メーカーが編み機事業から2015年に撤退してしまいました。国内の編機メーカーが存在しないことが非常に残念でなりません。 ー編み機との関わりの中で苦労話を教えて下さい。駒井 ダブルシリンダーの修繕です。繊維品の製造にはどうしてもホコリが発生してしまいます。機械の中に入り込んで誤作動を起こさないよう大敵を取り除く作業には苦労します。非常に重量がある上部シリンダー。針交換時にはシリンダーを持ち上げ手入れをする必要があり、この作業が年齢とともにきびしく感じるようになってきています。 東山 昨年末にイタリアにある世界最大の靴下機械メーカー、ロナティ社の新鋭機が入り、マニュアルは外国語表記。編機の専門的な英語知識が必要となるため、用語などの翻訳作業に時間がかかってしまいます。 ー最後に、お二人にたずねます。あなたにとって「靴下」とは?駒井 必要品。当たり前に存在する、なくてはならないものです。東山 消耗品。だけども、そこに履き心地を最重視しながら編み立てているのが私のこだわりでもあります。 ーヤマヤのレジェンド編み機がつくるもの 日本製編機の製造メーカーがなくなってしまいましたが、メンテナンスや部品の調達などはどう賄っているのか?部品は現在でも調達は可能のようです。コンピュータ制御が進化して以来、柄表現など豊富なラインナップの靴下を製造できるようにはなりましたが、基盤が破損してしまうと使えなくなるリスクがあったり、生産効率が決して良くないという理由から、業界内ではやむを得ず編機を手放すという苦渋の決断をされている工場も少なくはありません。そんな中、廃業された靴下工場からヤマヤでは編機を引き取り、手を加えながら現在も活躍しています。今回はそのレジェンド編み機を紹介いたします。[イギリス製ベントレー社の編み機。] 針数44本という特殊な編み機で、ローゲージソックスが編みあがります。ヴィンテージマシーンで編み立てた靴下は、どこか懐かしい手編みの靴下のような雰囲気で、ボリュームがある靴下に仕上がります。古い編機は編むのに時間がかかりますが、昔の機械ならではの風合いで、他にない特別な一足になります。 ▶▷この編み機から誕生した靴下はこちら [日本製 B式靴下編機(※4)。] 靴下編み機として日本で最初に完成され、この風貌からも靴下産業の歴史を感じるこの編機。口径の小さい編み機です。つまりは赤ちゃんのソックスを編立てています。▶▷この編み機から誕生した靴下はこちら 【用語解説】(※1)ダブルシリンダーとは上下のシリンダー(円筒)に沿って針が整列していて、上で糸をとったり下で編んだりすることにより、縄柄や畦編み(リブ編み)、鹿の子編み、リンクス編み、ジャカード編み、タック編みができる編み機のこと。編み機のご機嫌を見ながら、ゆっくり編み立てることでふっくらとした靴下が仕上がります。(※2)シングルシリンダーとはシリンダー(円筒)の針が下にだけある編み機。PCで柄や文字などを入力し、花柄や細かい柄を表現することが可能です。(※3)ニット製品製造一級技能士とは技能士とは各都道府県の職業開発能力協会が実施する技能検定に合格した人に与えられる国家資格です。...
機楽〜はたらく #3
機楽〜はたらく 編み機とハタラク職人のモノ語り 連載企画 第三回目、 奈良県・広陵町にある靴下工場「ヤマヤ株式会社」 生産現場から、 ベテラン靴下職人にインタビュー。 靴下はどのように編み立てられているのか?ご周知の方もいらっしゃるとは思いますが、実はとっても奥深い靴下の世界。靴下を編み始める前には編み機に送り込むデータの作成、糸のセッティングや調整、様々な工程があります。ヤマヤで製造する靴下の大半の編み機は靴下専用丸編機。シリンダー(円筒)を回転させながら編み立てていきます。子ども用と大人用では脚回りサイズが違うので編み機によって針が整列しているシリンダー径の大きさが違ってきます。また、靴下の厚み・糸の太さにより針数が変わります。例えば薄手のものは180−220本。厚手のものは44-96本の針がシリンダー状に整列しています。ちなみに、5本指の靴下は横編み機。同じ靴下でも編み方や機械も様々です。前置きが長くなりましたが、ダブルシリンダー(※1)の編み機をメインで担当する駒井、そしてシングルシリンダー(※2)、最新鋭機を担当する東山。両人とも一級ニット製品製造技能士(※3)のベテラン職人たちにたずねていきます。 ー自身の好きな製造工程があれば教えてください。駒井 ダブルシリンダーの編み機で柄出しをする工程です。特に表目と裏目の組み合わせで立体的に凹凸感を表現するリンクス柄が特に面白いです。 昭和感たっぷりのコンピューター。ヤマヤではまだまだ現役。フロッピーディスクでデータを読み込みます。 ▶▷ リンクス柄の商品はこちら 東山 シングルシリンダーは柄物が多いのもあり、調整にも一苦労です。生産リスクが高い商品もあるので、トラブルなく生産がスムーズに進む時が一番嬉しいです。 ーお気に入りの編機、その理由を教えて下さい 駒井 ダブルシリンダーの機械は柄を変更するにも一苦労。なかなかクセがある分、そのことが非常に面白いと思っています。 若手育成中の微笑ましいシーンです。 はじめての糸かけ作業にドキドキのひとコマ。 東山 日本製の機械が一番好きです。日本製というだけでどこか信頼できる編み機です。靴下向け丸編み機メーカーが編み機事業から2015年に撤退してしまいました。国内の編機メーカーが存在しないことが非常に残念でなりません。 ー編み機との関わりの中で苦労話を教えて下さい。駒井 ダブルシリンダーの修繕です。繊維品の製造にはどうしてもホコリが発生してしまいます。機械の中に入り込んで誤作動を起こさないよう大敵を取り除く作業には苦労します。非常に重量がある上部シリンダー。針交換時にはシリンダーを持ち上げ手入れをする必要があり、この作業が年齢とともにきびしく感じるようになってきています。 東山 昨年末にイタリアにある世界最大の靴下機械メーカー、ロナティ社の新鋭機が入り、マニュアルは外国語表記。編機の専門的な英語知識が必要となるため、用語などの翻訳作業に時間がかかってしまいます。 ー最後に、お二人にたずねます。あなたにとって「靴下」とは?駒井 必要品。当たり前に存在する、なくてはならないものです。東山 消耗品。だけども、そこに履き心地を最重視しながら編み立てているのが私のこだわりでもあります。 ーヤマヤのレジェンド編み機がつくるもの 日本製編機の製造メーカーがなくなってしまいましたが、メンテナンスや部品の調達などはどう賄っているのか?部品は現在でも調達は可能のようです。コンピュータ制御が進化して以来、柄表現など豊富なラインナップの靴下を製造できるようにはなりましたが、基盤が破損してしまうと使えなくなるリスクがあったり、生産効率が決して良くないという理由から、業界内ではやむを得ず編機を手放すという苦渋の決断をされている工場も少なくはありません。そんな中、廃業された靴下工場からヤマヤでは編機を引き取り、手を加えながら現在も活躍しています。今回はそのレジェンド編み機を紹介いたします。[イギリス製ベントレー社の編み機。] 針数44本という特殊な編み機で、ローゲージソックスが編みあがります。ヴィンテージマシーンで編み立てた靴下は、どこか懐かしい手編みの靴下のような雰囲気で、ボリュームがある靴下に仕上がります。古い編機は編むのに時間がかかりますが、昔の機械ならではの風合いで、他にない特別な一足になります。 ▶▷この編み機から誕生した靴下はこちら [日本製 B式靴下編機(※4)。] 靴下編み機として日本で最初に完成され、この風貌からも靴下産業の歴史を感じるこの編機。口径の小さい編み機です。つまりは赤ちゃんのソックスを編立てています。▶▷この編み機から誕生した靴下はこちら 【用語解説】(※1)ダブルシリンダーとは上下のシリンダー(円筒)に沿って針が整列していて、上で糸をとったり下で編んだりすることにより、縄柄や畦編み(リブ編み)、鹿の子編み、リンクス編み、ジャカード編み、タック編みができる編み機のこと。編み機のご機嫌を見ながら、ゆっくり編み立てることでふっくらとした靴下が仕上がります。(※2)シングルシリンダーとはシリンダー(円筒)の針が下にだけある編み機。PCで柄や文字などを入力し、花柄や細かい柄を表現することが可能です。(※3)ニット製品製造一級技能士とは技能士とは各都道府県の職業開発能力協会が実施する技能検定に合格した人に与えられる国家資格です。...

機楽〜はたらく #2 < 後編 >
機楽〜はたらく 編み機とハタラク職人のモノ語り 連載企画 第二回目、 奈良県・広陵町にある靴下工場「ヤマヤ株式会社」 代表取締役社長 野村佳照 、取締役専務 野村泰嵩 親子にインタビュー < 後編 > ー1994年、「ORGANIC GARDEN」「Hoffman」2つのファクトリーブランドを立ち上げた経緯、当時の様子など教えてください。 社長 戦後の高度経済成長に陰りが見え出し、1971年には1ドル360円という固定相場制が終了すると、韓国や中国から輸入品が増えるようになりました。このままでは、製造業に未来は無い、という危機感から、自社製品を作り自らの手で販売する自立工場を目指しました。ハートデザイン戸田氏の協力を得て、アパレルに精通したプランニング会社を加え、1994年 インポートテイストの匂いを感じる、おしゃれなソックスブランドとして「Hoffmann」がデビューしました。現在のようにEC(電子商取引)といった取引手段もなく、ゼロからの新規取引先の開拓は容易なことではありませんでした。 ホフマンのスタートと同じ時期に、県内で繊維製造業を営む企業で、ヤマヤと同様に製造業の未来に危機感をもつ繊維業の有志が集まり、協同組合エヌエスを設立しました。商品企画を契約していたプランニング会社から環境にやさしいオーガニックコットンという素材の提案があり、環境問題が社会問題化しつつある中、その素材でそれぞれ得意なアイテムを商品開発することになりました。 ー2020年には東京江東区清澄に糸季姉妹店、ファクトリーブランド“yahae〈ヤハエ〉“の立ち上げの経緯を教えて下さい。 専務 時代が急速に変化する中で、遠い未来にも通用する究極の定番を追求したいと考えるようになりました。そこでオーガニックコットンを中心としたサスティナビリティを意識した素材使いを軸に、思いを入れて選びたい日や、特別な人へのギフトとして選ばれるような靴下を作ることにしました。私たちの歴史と未来の交差点にあるプロダクトの集合体がyahaeで、それを販売する場所がyahae kiyosumiです。 ーブランド設立から四半世紀を過ぎ、一番苦労したエピソードをお聞かせください。 社長 Hoffmannについては、一弱小工場が立ち上げた無名のソックスブランドとして、相手にはされません。当時、工場がダイレクトに小売店に販売することはタブー視されていた時代でした。また、靴下自体、アパレルアイテムというより雑貨としての扱いで、洋品店での関心も低いということもありました。 それでも、営業を続けながら、取引店舗はできてはきましたが、なかなか請求通りの支払いをしてくれません。ようやく支払いしてくれても半分だけという有様です。これではいくら扱い店舗が増えても、こちらが企業として成り立ちません。完全買取り、完全回収を取引条件に、一から出直しました。 協同組合エヌエスの「ORGANIC GARDEN」については、当時、まだ、エコという言葉が一般には理解されていない時代で、百貨店のイベントでも、「エコ」という言葉は使えずに、「自然」とか、「健康」という言葉をキーワードとして使いました。新規の営業で、オーガニックコットンの特性を力説するあまり、そのお店の商品をけなすのか、と言わんばかりに店主の反感を買ったこともありました。 ー最後に、お二人にたずねます。あなたにとって「靴下」とは? 社長 靴下を作ることは、私に与えられた使命のように感じています。ものがあふれている現在社会の中で、無闇な競争をしてまで生き残るという気持ちは、毛頭ありません。むしろ、そういう状況になれば、潔く業界から身を引くべきと考えます。気に入っていただける、喜んでいただけるいいものを世に送り出す。多くの人にこの製品を届けたい、その思いで工場経営を行っています。この考えは、ヤマヤのものづくり、Yamaya Quality(ヤマヤ品質)のベースになるものです。 専務 靴下は、簡単にその日のスタイリングの方向性を決めることができるので、とても便利でかつ非常に重要なアイテムだと思います。例えば茶色のセットアップのスーツを着るとします。その時にネイビーのビジネスソックスを履くのと、赤いソックスを合わせるのとでは、全く印象が違います。“I...
機楽〜はたらく #2 < 後編 >
機楽〜はたらく 編み機とハタラク職人のモノ語り 連載企画 第二回目、 奈良県・広陵町にある靴下工場「ヤマヤ株式会社」 代表取締役社長 野村佳照 、取締役専務 野村泰嵩 親子にインタビュー < 後編 > ー1994年、「ORGANIC GARDEN」「Hoffman」2つのファクトリーブランドを立ち上げた経緯、当時の様子など教えてください。 社長 戦後の高度経済成長に陰りが見え出し、1971年には1ドル360円という固定相場制が終了すると、韓国や中国から輸入品が増えるようになりました。このままでは、製造業に未来は無い、という危機感から、自社製品を作り自らの手で販売する自立工場を目指しました。ハートデザイン戸田氏の協力を得て、アパレルに精通したプランニング会社を加え、1994年 インポートテイストの匂いを感じる、おしゃれなソックスブランドとして「Hoffmann」がデビューしました。現在のようにEC(電子商取引)といった取引手段もなく、ゼロからの新規取引先の開拓は容易なことではありませんでした。 ホフマンのスタートと同じ時期に、県内で繊維製造業を営む企業で、ヤマヤと同様に製造業の未来に危機感をもつ繊維業の有志が集まり、協同組合エヌエスを設立しました。商品企画を契約していたプランニング会社から環境にやさしいオーガニックコットンという素材の提案があり、環境問題が社会問題化しつつある中、その素材でそれぞれ得意なアイテムを商品開発することになりました。 ー2020年には東京江東区清澄に糸季姉妹店、ファクトリーブランド“yahae〈ヤハエ〉“の立ち上げの経緯を教えて下さい。 専務 時代が急速に変化する中で、遠い未来にも通用する究極の定番を追求したいと考えるようになりました。そこでオーガニックコットンを中心としたサスティナビリティを意識した素材使いを軸に、思いを入れて選びたい日や、特別な人へのギフトとして選ばれるような靴下を作ることにしました。私たちの歴史と未来の交差点にあるプロダクトの集合体がyahaeで、それを販売する場所がyahae kiyosumiです。 ーブランド設立から四半世紀を過ぎ、一番苦労したエピソードをお聞かせください。 社長 Hoffmannについては、一弱小工場が立ち上げた無名のソックスブランドとして、相手にはされません。当時、工場がダイレクトに小売店に販売することはタブー視されていた時代でした。また、靴下自体、アパレルアイテムというより雑貨としての扱いで、洋品店での関心も低いということもありました。 それでも、営業を続けながら、取引店舗はできてはきましたが、なかなか請求通りの支払いをしてくれません。ようやく支払いしてくれても半分だけという有様です。これではいくら扱い店舗が増えても、こちらが企業として成り立ちません。完全買取り、完全回収を取引条件に、一から出直しました。 協同組合エヌエスの「ORGANIC GARDEN」については、当時、まだ、エコという言葉が一般には理解されていない時代で、百貨店のイベントでも、「エコ」という言葉は使えずに、「自然」とか、「健康」という言葉をキーワードとして使いました。新規の営業で、オーガニックコットンの特性を力説するあまり、そのお店の商品をけなすのか、と言わんばかりに店主の反感を買ったこともありました。 ー最後に、お二人にたずねます。あなたにとって「靴下」とは? 社長 靴下を作ることは、私に与えられた使命のように感じています。ものがあふれている現在社会の中で、無闇な競争をしてまで生き残るという気持ちは、毛頭ありません。むしろ、そういう状況になれば、潔く業界から身を引くべきと考えます。気に入っていただける、喜んでいただけるいいものを世に送り出す。多くの人にこの製品を届けたい、その思いで工場経営を行っています。この考えは、ヤマヤのものづくり、Yamaya Quality(ヤマヤ品質)のベースになるものです。 専務 靴下は、簡単にその日のスタイリングの方向性を決めることができるので、とても便利でかつ非常に重要なアイテムだと思います。例えば茶色のセットアップのスーツを着るとします。その時にネイビーのビジネスソックスを履くのと、赤いソックスを合わせるのとでは、全く印象が違います。“I...

機楽〜はたらく #1 < 前編 >
機楽〜はたらく 編み機とハタラク職人のモノ語り はじまります。 連載企画 第一回目、 奈良県・広陵町にある靴下工場「ヤマヤ株式会社」 代表取締役社長 野村佳照 、取締役専務 野村泰嵩 親子にインタビュー < 前編 > 今回は、現在の社屋から徒歩数分の距離にある、社長自邸敷地内の旧工場を訪問しました。 ーヤマヤは昨年100周年を迎えました。その歴史の中で代々受け継がれてきていることはありますか? 社長 祖母より「代々、我が事よりひと様のことを大切に思う家筋」という話を聞かされてきました。昭和58年、個人経営から法人に改組する際、先祖のその精神を引き継ぐ意味で、江戸時代文政期に木綿業を創業した「疋相村弥兵衛」以来の屋号であった「山や」の名称を用い、山屋株式会社としました。平成4年、CI(corporate identity)導入を機に、社名をヤマヤ株式会社に改称しました。 ー家業について子どものころ、どう感じていましたか? 専務 脇役的な立ち位置ではありながら、さりげなく個性も表現できる靴下というアイテムに、とても魅力を感じていました。幼い頃から服や鞄などのファッションにずっと興味はあったので、その一部である靴下の生産に家業を継ぐ形で携わることは、すごく自然にイメージできました。今思うと、大学や就職先などの進路の選択の際には、将来的な靴下工場での勤務を視野に入れて、無意識の内に少しでも役立つような道を選んできたと思います。 ー旧工場には 「安定した高品質」の文字が掲げられていますが、そのために配慮や工夫されていることは? 社長 品質をとは何かと問うと、人によりまちまちの答えが返ってくると思いますが、一般的には、キズやヨゴレがなく、生地の調整がとれていて、丈や横伸びに支障がなく、外見も整っている靴下、と言えます。ところが、そのような品物ができあがっても、それと同じものを本生産で再現しなければ意味がありません。同じように作ればいいだけのこと、と思われるでしょうが、それが難しいのです。気温や湿度により糸の状態が変化します。コーンに巻かれた糸の形状も変化します。糸の通り道に綿ぼこりが溜まります。常に、編み上がりの生地をチェックする必要があるのです。いい品物を確かな品質で安定して作る、という意味で、「安定した高品質」という言葉を標語として、旧工場に掲げました。その考えは、ヤマヤのものづくり基本的な考えとして今も変わりありません。 ーこの旧工場での思い出などがあれば教えて下さい。 専務 よく兄弟で卓球をしたことを覚えています。また広い空間があるのに、全く生かされていない現状について、よく何かできないかと考えを巡らせたことも記憶しています。ここをリノベーションして住まいにすることも考えましたが、結果的にはなるべく多くの方が訪れることができる空間にしたいと考え、店舗・ギャラリーとしての展開を決めました。 あとがき 野村親子はインタビューでもあったように家業であるものづくりや考え方を共にし、これまで歩んで参りました。 このように改めて話を聞く機会が少ない中、この連載はわたしたち従業員にもヤマヤについて学ぶきっかけとなり、 多くの方に知っていただけることを嬉しく思っています。 旧工場の新展開については、また別途お知らせしますね。 暑い中、長年の蓄積された編み機の埃を社長自らが懸命に拭っている様子にもご注目ください。 次回、後編では更に深くたずねていきます。...
機楽〜はたらく #1 < 前編 >
機楽〜はたらく 編み機とハタラク職人のモノ語り はじまります。 連載企画 第一回目、 奈良県・広陵町にある靴下工場「ヤマヤ株式会社」 代表取締役社長 野村佳照 、取締役専務 野村泰嵩 親子にインタビュー < 前編 > 今回は、現在の社屋から徒歩数分の距離にある、社長自邸敷地内の旧工場を訪問しました。 ーヤマヤは昨年100周年を迎えました。その歴史の中で代々受け継がれてきていることはありますか? 社長 祖母より「代々、我が事よりひと様のことを大切に思う家筋」という話を聞かされてきました。昭和58年、個人経営から法人に改組する際、先祖のその精神を引き継ぐ意味で、江戸時代文政期に木綿業を創業した「疋相村弥兵衛」以来の屋号であった「山や」の名称を用い、山屋株式会社としました。平成4年、CI(corporate identity)導入を機に、社名をヤマヤ株式会社に改称しました。 ー家業について子どものころ、どう感じていましたか? 専務 脇役的な立ち位置ではありながら、さりげなく個性も表現できる靴下というアイテムに、とても魅力を感じていました。幼い頃から服や鞄などのファッションにずっと興味はあったので、その一部である靴下の生産に家業を継ぐ形で携わることは、すごく自然にイメージできました。今思うと、大学や就職先などの進路の選択の際には、将来的な靴下工場での勤務を視野に入れて、無意識の内に少しでも役立つような道を選んできたと思います。 ー旧工場には 「安定した高品質」の文字が掲げられていますが、そのために配慮や工夫されていることは? 社長 品質をとは何かと問うと、人によりまちまちの答えが返ってくると思いますが、一般的には、キズやヨゴレがなく、生地の調整がとれていて、丈や横伸びに支障がなく、外見も整っている靴下、と言えます。ところが、そのような品物ができあがっても、それと同じものを本生産で再現しなければ意味がありません。同じように作ればいいだけのこと、と思われるでしょうが、それが難しいのです。気温や湿度により糸の状態が変化します。コーンに巻かれた糸の形状も変化します。糸の通り道に綿ぼこりが溜まります。常に、編み上がりの生地をチェックする必要があるのです。いい品物を確かな品質で安定して作る、という意味で、「安定した高品質」という言葉を標語として、旧工場に掲げました。その考えは、ヤマヤのものづくり基本的な考えとして今も変わりありません。 ーこの旧工場での思い出などがあれば教えて下さい。 専務 よく兄弟で卓球をしたことを覚えています。また広い空間があるのに、全く生かされていない現状について、よく何かできないかと考えを巡らせたことも記憶しています。ここをリノベーションして住まいにすることも考えましたが、結果的にはなるべく多くの方が訪れることができる空間にしたいと考え、店舗・ギャラリーとしての展開を決めました。 あとがき 野村親子はインタビューでもあったように家業であるものづくりや考え方を共にし、これまで歩んで参りました。 このように改めて話を聞く機会が少ない中、この連載はわたしたち従業員にもヤマヤについて学ぶきっかけとなり、 多くの方に知っていただけることを嬉しく思っています。 旧工場の新展開については、また別途お知らせしますね。 暑い中、長年の蓄積された編み機の埃を社長自らが懸命に拭っている様子にもご注目ください。 次回、後編では更に深くたずねていきます。...

スタッフ募集について
みなさま、こんばんは。 本日は糸季の姉妹店でのスタッフ募集についてのお知らせです。 東京・清澄白河にあるyahae kiyosumiでは、今現在スタッフを募集しております。 おかげさまでお店がオープンして1年ちょっとが経ちました。 店長とスタッフ1名という体勢でやってまいりましたが、ウェブショップの運営も増え、今後イベントなどの企画も増やしていけたらとの思いもあり、新たにスタッフを募集することにいたしました。 物事に前向きに取り組める方で自発的に仕事ができる方、接客の仕事がお好きな方の応募をお待ちしております。 こういうことがしたい、こういう働き方をしたい、まずは話をしてみたいなど、どうぞお気軽にお問合せいただけたら嬉しいです。 【勤務地】 yahae kiyosumi店舗(清澄白河) 【募集内容】 パートとして、週2~4日程度(応相談) 土日祝日の出勤が可能な方 物販の経験のある方(アルバイトでも○) 学生 不可 11:00 〜 17:30 までのシフト制 試用期間:3か月 交通費:全額支給(遠方の方を除く) ※詳しい条件につきましては別途お問い合わせください。 ※イベント時(またその前後)には上記以外の出勤もあります ※当社では、新卒採用は行っておりません 【仕事内容】 靴下の販売をメインとしたサービス業務...
スタッフ募集について
みなさま、こんばんは。 本日は糸季の姉妹店でのスタッフ募集についてのお知らせです。 東京・清澄白河にあるyahae kiyosumiでは、今現在スタッフを募集しております。 おかげさまでお店がオープンして1年ちょっとが経ちました。 店長とスタッフ1名という体勢でやってまいりましたが、ウェブショップの運営も増え、今後イベントなどの企画も増やしていけたらとの思いもあり、新たにスタッフを募集することにいたしました。 物事に前向きに取り組める方で自発的に仕事ができる方、接客の仕事がお好きな方の応募をお待ちしております。 こういうことがしたい、こういう働き方をしたい、まずは話をしてみたいなど、どうぞお気軽にお問合せいただけたら嬉しいです。 【勤務地】 yahae kiyosumi店舗(清澄白河) 【募集内容】 パートとして、週2~4日程度(応相談) 土日祝日の出勤が可能な方 物販の経験のある方(アルバイトでも○) 学生 不可 11:00 〜 17:30 までのシフト制 試用期間:3か月 交通費:全額支給(遠方の方を除く) ※詳しい条件につきましては別途お問い合わせください。 ※イベント時(またその前後)には上記以外の出勤もあります ※当社では、新卒採用は行っておりません 【仕事内容】 靴下の販売をメインとしたサービス業務...

パティシエと旅するフランス郷土菓子
2021年も残り2ヶ月。緊急事態宣言は解除されましたが、繰り返しの波を経験し、安心や開放感に浸ることはありません。ならまち も少しずつ賑わいを取り戻しつつありますが、糸季店舗での秋のイベントはなくなりました。それでもお客様と楽しさを共有したい!とずっと思いを馳せつつ、目の前の逃れられない現実をこの一年歩んできました。 未曾有の状況の中、模索した昨年。「ナラカラフル」のクッキー缶は驚くほどの反響があり、大変ご好評いただきました。改めて感謝の気持ちを込め、今回はおうちにいながら街歩きをイメージしたフランス菓子の詰め合わせをご用意いたしました。 フランス菓子と聞くと、マカロン、カヌレ、クイニー・アマンなどは日本でもおなじみですが、9年間フランス各地で修行したパティシエだからご紹介できる馴染みのないお菓子が味わえるのがこの企画一番の醍醐味。エスプリの効いたパリの味から、田舎の路地裏のパティスリーで出会う素朴菓子までを詰め込んだ夢のお菓子箱、この機会に是非お楽しみいただければと思います。 お歳暮や、少し早いクリスマスギフトとしてもお使いいただけるよう、12月1日からのお届けとなります。 2021年最後の月に、糸季から皆さまをフランス旅へとご案内いたします。 奈良県天理市、天理駅前にあるパティスリーHiSaSo(ヒサソ) オーナーパティシエ大杉さんにお話を伺いました。 ー パティシエになったきっかけは何でしょう? 大学受験の失敗。人生の岐路に直面し、三択のうち一番興味のなかったお菓子の世界へ飛び込みました。 実はケーキは嫌いでした。美味しいと感じたことがなく、誕生日ケーキもあまり嬉しくなかったんです。 今だから話せることですが 笑 ー その興味のなかったお菓子の世界から数々賞を得られるきっかけは何でしたか? 製菓学校時代、お菓子にはこんなに沢山の砂糖が含まれることにまず嫌気がさしました。 笑 授業の中で食べない装飾菓子の世界を知り、飴細工やクロカンブッシュがあることに驚き、そしてその華やかさにどんどん惹き込まれていきました。 ー 9年間フランス各地で修行され、飴細工の大会では数々の賞を受賞!大変なご苦労もあったのでは? 二度目の渡仏では最初の一年は倉庫の掃除。日本で自分の店を構えていたし、それなりに知識もあったが、この環境には特に抵抗はなかったんです。掃除係からは徐々にケーキも作らせてもらえるようになりました。そして夜、勤務時間を終えるとキッチンは使い放題。 居残って納得がいくまで製作に没頭できました。日本でいう人間国宝のようなスペシャリストに直接指導いただくこともありました。環境にすごく恵まれていたと思っています。 ー お店いちばんのこだわりは何でしょうか?こだわりのバター、契約農家直送の卵、地元野菜や果物など信頼できる素材を厳選しています。素材の持ち味を大切にしながら伝統的なフランスのケーキづくりのマナーを忠実に守ることで、シンプルでありながらも味わい深いケーキづくりをしています。 ー ご自身が一番好きなお菓子は? ガトー・バスクです。この素朴な感じと、カスタードが好きなのでお店では欠かしたことがありません。わたしが好きなことをスタッフも知っているので、迷われているお客さまに勧めてくれています。 ー 2度の渡仏を経験され、パティシエとしての一番の気づきなどあればお聞かせください。 訳も分からないまま一度目は渡仏しましたが、二度目は日本で自分の店を構えてからの決断でした。一度目とは覚悟が違いました。再び渡ったフランスで飴細工大会ではフランス二位の称号を獲ましたが、それ以上になることはありませんでした。自分はそれなりの自信を持って挑んだのでこれが限界。やりきれたことに満足しています。 どこにいても人はそんなに変わらない。どこだって生きていける。偏見などもあろうかと覚悟はあったが、自分は周りの環境に恵まれていました。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------...
パティシエと旅するフランス郷土菓子
2021年も残り2ヶ月。緊急事態宣言は解除されましたが、繰り返しの波を経験し、安心や開放感に浸ることはありません。ならまち も少しずつ賑わいを取り戻しつつありますが、糸季店舗での秋のイベントはなくなりました。それでもお客様と楽しさを共有したい!とずっと思いを馳せつつ、目の前の逃れられない現実をこの一年歩んできました。 未曾有の状況の中、模索した昨年。「ナラカラフル」のクッキー缶は驚くほどの反響があり、大変ご好評いただきました。改めて感謝の気持ちを込め、今回はおうちにいながら街歩きをイメージしたフランス菓子の詰め合わせをご用意いたしました。 フランス菓子と聞くと、マカロン、カヌレ、クイニー・アマンなどは日本でもおなじみですが、9年間フランス各地で修行したパティシエだからご紹介できる馴染みのないお菓子が味わえるのがこの企画一番の醍醐味。エスプリの効いたパリの味から、田舎の路地裏のパティスリーで出会う素朴菓子までを詰め込んだ夢のお菓子箱、この機会に是非お楽しみいただければと思います。 お歳暮や、少し早いクリスマスギフトとしてもお使いいただけるよう、12月1日からのお届けとなります。 2021年最後の月に、糸季から皆さまをフランス旅へとご案内いたします。 奈良県天理市、天理駅前にあるパティスリーHiSaSo(ヒサソ) オーナーパティシエ大杉さんにお話を伺いました。 ー パティシエになったきっかけは何でしょう? 大学受験の失敗。人生の岐路に直面し、三択のうち一番興味のなかったお菓子の世界へ飛び込みました。 実はケーキは嫌いでした。美味しいと感じたことがなく、誕生日ケーキもあまり嬉しくなかったんです。 今だから話せることですが 笑 ー その興味のなかったお菓子の世界から数々賞を得られるきっかけは何でしたか? 製菓学校時代、お菓子にはこんなに沢山の砂糖が含まれることにまず嫌気がさしました。 笑 授業の中で食べない装飾菓子の世界を知り、飴細工やクロカンブッシュがあることに驚き、そしてその華やかさにどんどん惹き込まれていきました。 ー 9年間フランス各地で修行され、飴細工の大会では数々の賞を受賞!大変なご苦労もあったのでは? 二度目の渡仏では最初の一年は倉庫の掃除。日本で自分の店を構えていたし、それなりに知識もあったが、この環境には特に抵抗はなかったんです。掃除係からは徐々にケーキも作らせてもらえるようになりました。そして夜、勤務時間を終えるとキッチンは使い放題。 居残って納得がいくまで製作に没頭できました。日本でいう人間国宝のようなスペシャリストに直接指導いただくこともありました。環境にすごく恵まれていたと思っています。 ー お店いちばんのこだわりは何でしょうか?こだわりのバター、契約農家直送の卵、地元野菜や果物など信頼できる素材を厳選しています。素材の持ち味を大切にしながら伝統的なフランスのケーキづくりのマナーを忠実に守ることで、シンプルでありながらも味わい深いケーキづくりをしています。 ー ご自身が一番好きなお菓子は? ガトー・バスクです。この素朴な感じと、カスタードが好きなのでお店では欠かしたことがありません。わたしが好きなことをスタッフも知っているので、迷われているお客さまに勧めてくれています。 ー 2度の渡仏を経験され、パティシエとしての一番の気づきなどあればお聞かせください。 訳も分からないまま一度目は渡仏しましたが、二度目は日本で自分の店を構えてからの決断でした。一度目とは覚悟が違いました。再び渡ったフランスで飴細工大会ではフランス二位の称号を獲ましたが、それ以上になることはありませんでした。自分はそれなりの自信を持って挑んだのでこれが限界。やりきれたことに満足しています。 どこにいても人はそんなに変わらない。どこだって生きていける。偏見などもあろうかと覚悟はあったが、自分は周りの環境に恵まれていました。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------...